2021.12.07

12月に入り、ストーブの前から動けないです。

今年は激動の1年で、7月2日にある発達障害の診断を受けてからずっと薬を飲んでいる訳ですが…

7月の診断前に、たしか去年ぐらいから検査のために病院に行っていたんですが、キャンセルの連続で…検査前に傾向出てました笑(検査のために3回病院行くだけで5ヶ月くらいかかった)


そもそもなぜ精神科に行く事になったのかという部分から書くとします。


幼少期から変わった子という周囲の認識はあったんですが、中学まではピアノ一本打法で伴奏とかやってたので、1人だけ動きが違う事はよくありました。(だから気づきにくかったのかも)

中学の部活も、体力錬成の走りはなんとかだったけどいざ練習となるとダメダメ。なかなか上達しない奴だった記憶があります。


高校に進み、毎週ピアノと歌のレッスンが始まり、ひとり暮らしになると生活が崩壊しました。

レッスンを受けるは良いけど練習する余裕なく1週間が経ち、練習不足で怒られる事をループする3年間でした。

mitakeさんは何かそういう病気なのか?と1番最初に疑ってくれたのはピアノの小澤先生だった…と記憶しています。(当事者だと意外と気づかないもんだよね)

本人的にはスランプかな?という認識で、授業も嫌いな内容だと入ってこないので堂々と落書きをし、ソルフェージュや和声はダメダメでレッスンも練習不足で試験はほぼゴミ、眠れないから深夜まで起きていて、寝坊して学校間に合わず休む の繰り返しでした。音楽史のロッシーニのパスタの漫画をいつもモノマネしていた楽しい記憶があります。

とはいえ、ピアノを触る事自体はあったのでいつもマリオのテーマを弾いていたら、夜中になるとマリオが聞こえて来る と若干のアパートの噂になってたようです。


寝ても寝ても永遠に眠れるので、このまま消えたいとよく考えていました。

高2がピークでしたが、同じクラスの友達が気にかけてくれたおかげでなんとか学校に毎日行けるようになり、卒業出来ました。

2週間連続で行けた時、学校行くの、楽しい!って言って、そうだよ学校って楽しいんだよ!と言われたような🤔


今だから言える話ですが、3年の文化祭の出し物でミュージカルをやることになり、3曲ほど編曲しなくちゃならなくて締切の前の日、学校休んで編曲しました。学校のために学校休む、これぞ矛盾…。

作曲家を目指すルーツはこのエピソードに源泉があったりしますが…。


絶賛スランプ期という事をひた隠し伴奏
絶賛スランプ期という事をひた隠し伴奏
高校のみんなは優しかった…ありがとう
高校のみんなは優しかった…ありがとう


で、短大に進学したわけですがここでも寝坊寝坊で10単位くらい落としました🌟 

ドイツ語と多文化共生論の先生には本当に申し訳なかった…です。午前には必修科目が多く、起きれない事が常態化していました。

アルバイトもやっていた訳で、遅刻常習犯でした。

2年後期の単位認定表を見るのが怖くて、これで単位足りなかったら死だな…と思ってた所、ギリギリ大丈夫だったので難を逃れました。(経済学の先生にすごい心配されてました)


なぜ起きられないのか、という事はよく考えていたものの、自分がだらしないからと責める日々で自己肯定感とかそんなものはゼロ…気がつけば部屋はどんどん物で溢れて寝るとこが無い!

ストレスで毎日深夜のセブンイレブンに通っておりました。高校ではバイトをするほど精神的余裕も無く、親に頼る日々。

よく卒業できたなと思います。


と、今日はこのぐらいで!

続きはまた明日、よろしくお願いします。